あいつの服がダサい、自分の服がダサい、何をもってダサいと認識しているのかを考えてみます
ファッションは自由だがオシャレは自由じゃない
どんな服を着ようが自分の自由だ。このセリフ、身だしなみがなってない人こそ言いますが、半分正解で半分間違いです。
確かにどんな服を着ようがその人の自由ですが、オシャレに関してはそうではないのです。
では、着てはいけない服、いわゆるダサい服とはなんなのでしょうか。
服を買ったことがない人が着る服はダサい
自分で服を買ったことがない、では今使ってる服は誰に買ってもらいましたか。大体の場合、親だと思います。親が子に似合ってるという感性と同級生が思う似合っているという感性は異なります。そうなってくると、服をいつまでたっても自分で買わない人は身だしなみも変わらない、(身だしなみを変えようとすれば服も自分で買うようになる)身だしなみがなってない人のコーデが年齢を重ねるにつれ自然と似たような型に収束し、身だしなみがなってない人の顔、服全体を嫌悪するのです。
最近はこの年齢がだんだん前倒しになってきている気がします。
身だしなみがなってない人(清潔感がない人)→服を買ったことがない人→自立できてない人→こどもっぽい→恋愛対象から外れる
といった具合になるのです。要約すると服がダサいんじゃなくあなたがダサいという解釈になるのです。イケメンが何着ても似合うのはこれに関係しています。
結局どうしたらよいのか→
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